研究室紹介

征矢教授からの一言

脳フィットネス

 私どもは“脳フィットネス”という新しい概念をつくり、それに基づく仮説-検証を通じて、運動が脳に及ぼす影響と脳が運動パフォマンスを高めるメカニズムの解明に汗をかいています。 誰しも日々の生活の中で種々のストレスを克服し快適な生活を送りたいと願うでしょう。私たちはこのような生活を可能にする、ストレスにも負けない、元気で前向きな人間でいられるような脳の状態を “脳フィットネス”と呼んでいます。私たちは脳フィットネスを高める方法として身近な身体運動に着目しています。というのも、最近の生化学、生理学研究、ならびに脳科学研究から、運動の効果は カロリー消費だけにあらず、条件によっては脳を活性化し、感情を好転させ、認知機能を改善しうることなどが示唆されているからです。

 このような効果は私たちのいう脳フィットネスに通ずる脳の状態です。運動の効果はカロリー消費やダイエット効果に限りません。脳も筋と同様、からだの一部。疲れることもあるし、鍛えれば機能も 高まるのです。では、運動はどのように脳フィットネスを高めるのか、また、脳フィットネスを高める運動の条件はどんなものか、などについて徹底的に解明する必要があります。それにより、少しでも 運動の付加価値を高め、運動の生活化を促進できれば素敵です。代替医療としても貢献し、我が国でも急増するうつ病、高齢化に伴う認知症などの対応策となることも期待されています。

 基盤となる研究は、運動がどのように脳を刺激するのか。尊敬するJacques Monodの言葉を借りれば、“偶然の運動がどんな必然性を脳にもたらすか”です。しかし、まだまだこの基盤的情報が足りません (宝の山の所以はここにあり)。私どもの研究を少しご紹介するとこうなります。例えば、メタボリックシンドロームに関連した代謝・内分泌・自律系の統合中枢、視床下部は、 50-60%酸素摂取水準付近の強度(中強度・LT強度)で初めて活性化する一方、海馬など認知機能を担う部位では、歩行程度の軽運動で十分活性化します。 つまり、メタボ適用の運動として中強度(LT強度)が良いのに対し、認知機能改善には低強度の軽運動が良いとなるかもしれないのです。様式や時間、頻度なども検討する必要があります。

Brain and Brawn, One and the Same

 ルネサンスを謳歌したギリシャ時代。著名な哲学者、アリストテレスたちはそぞろ歩きをしながら哲学を語ったといわれています。 「歩く」=「逍遥」、だから逍遥学派とも呼ばれています。座して静かにしているより、歩きながら、動きならの方がひらめき度が良くなり、議論も活発になる、 そう考えていたのでしょうか?我らが松尾芭蕉翁も、そういえば1日20kmを超える旅を続けたと言われています。彼はその道すがら、常に“おかしみ”を醸し出す俳句を創り続けました。 彼の歩きは俳句の創造にどんな効果をもたらしたのか、脳はどう働いたのか。

 最近、これが現実味を帯びる研究成果に出逢いました。 たった2週間のスローランニングをネズミにさせると、海馬の神経が増えること。さらに、6週間も続けると海馬自体が肥大することがわかりました(Okamotoら、PNAS, 2012)。 まさに、“Brains and brawn、one and the same(脳と筋は同じもの)”。互いに遠くにある臓器でありながら、脳も筋と同じかそれ以上に、環境や運動刺激に脳(細胞)が適応し、 神経自体も数が増えたりする。認知機能も高まったりすることがわかってきたのです。筑波山に登る高齢者も、ゆっくり歩く山登りの効果を肌で感じている、だから辞められないのでしょうか?

 もちろん、短時間の高強度運動だって見捨てたものではありません。一時的には強いストレス反応を呼びますが、だからといって体をを害する事はない。むしろ、元気にさえしてくれます。 ストレスは長く慢性化してはじめて問題なのです。ラットの体を拘束し、数週間続けるとそれだけで動かなくなる。胃は胃潰瘍になり、海馬は萎縮する。そして、記憶力も低下するから要注意。 日本のマラソン界は月間1000kmが当たり前です。ストレスに弱いタイプには過酷な鍛錬となるはずです。ランナーの抑うつが問題になるのは仕方ないことかもしれません。これをどうするかも今後の大きな問題でしょう。

コロンブスの卵

 今、高強度のインターバルトレーニングに世界がまた注目しています。パワーだけでなく何と持久力も効果的に高まるというのです (Gibalaら、2012)。インターバルトレーニングを編み出したのはチェコのザトペック。 昔は人間機関車と異名をとり、道徳の本で紹介された偉人でした。小さい頃からのイメージは怪物。しかし、蓋を開けると意外にもスマートランナーだったのだから驚きです。彼は、駆け出しの頃、実は持続走に嫌気がさし、 毎日同じトラックを漫然と走るのは勉強の「復習」のようでつまらないと感じていたようです。「予習」のように新鮮で刺激的なトレーニングはないかと探す中、細切れに100mの直線路を素早く走り、 それを休みながら繰り返しることに病み付きになった。その結果べらぼうに強くなりました。ヘルシンキ五輪で長距離三冠は不滅の記録。それが創造的トレーニングで達成されたとは驚きでした(体育の科学56巻の特集、ランナーズ2012年11月号)。 最近、疲労困憊時には筋だけでなく脳のグリコーゲンが減ることを発見できました(Matsuiら, J Physiol, 2011; 2012)。だからおそらく、予習的ランニングの方が、復習的ランニングよりも脳グリコゲンの消費が少なく、 集中力も失わずに質の高い練習ができるのではと考えてしまう。そのうちきっと暴いてみたい問題の一つとなっています。

 自然科学では言うに及ばずスポーツ科学においても、古くから知られる運動やトレーニングに見直しが必要です。筋のように変わる脳を新たなターゲットとしてもう一度、 運動やトレーニング効果の信憑性を吟味してみるのは、もしかすると宝の山を掘るごとく有意義なものかもしれません。もちろん、最先端の測定技術は必要。そして、東京の下町工場の技術者がお持ちなような、 世界にも通用するオリジナルで精緻な技術が身に付いたらどんなに素敵でしょう。。そうした技術を洗練させると、だれでも科学者になれる。誰も知らないことを暴くことができる。 少なくともわが研究室の研究室の学生諸君は、そんな思いで研究しています。当たり前のことでも、新しい物差しができると、その効果や意義にこれまでにない新しさが見えてくる。それが楽しくて辞められない、止まらない。それが我が研究室。 大切なのは、自分の運動体験です。成功も失敗も何でもいい。経験にもとづく自分の内なるRealityを生かすべきです。どんなことも、そこからイメージを膨らませていくと迫力が出て、好奇心も湧いてくる。 あとは信じて、体を動かし、試行錯誤を繰り返す。そのプロセスの中にこそ発見はつきものだ、と思うからです。大きな発見は、意外にも身近なところに転がっている。さあ、一緒に見つけよう、スポーツ科学におけるコロンブスの卵。

アニマルリサーチグループ